お知らせ
7月14日、ぼくあずさは地球人のCategory 稲門機械屋倶楽部に、 村尾鐵男さんが航空工学入門講座の連載を始めます。氏は航空機の専門家であり、著書も多数出版されております。専門的なご質問(Comment)も歓迎します。
ご訪問をお待ちしております!!
ぼくあずさ
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東武宇都宮駅→ 関東バス25分→ 大谷資料館→ 大谷観音→ 大谷平和観音→大谷観音前→ 関東バス→ 東武栃木市駅→ 東武浅草駅
大谷石資料館前バス停で下車、大谷景観公園の先を右折、緩い坂道は冷えた空気が流れ、資料館が近いことが知れる。
資料室で元採石工の方から説明を受ける。「今の若い人には勤まらない」とポツリと言ったが、私も同感。見学者のいない10℃の冷たい地下空間、終戦直前は奥に中島飛行機の地下工場があったそうだ。
大谷観音の御本尊は撮影禁止なので、パンフレットの写真を転載する。左脇の山肌に釈迦・薬師・阿弥陀のそれぞれ三尊像が彫られている。入口売店で千手観世音菩薩像の御札を買求める。帰宅後株価暴騰の御利益。
大谷観音
坂東第十九番札所天台宗天開山大谷寺、輪王寺の末
寺、弘仁元年(810)創立、開基は弘法大師空海、御本尊は大谷石心塑像千手観世音菩薩像。元和年間(1615~24)に伝海僧正によって中興、天台宗に改宗された。
直ぐ近くの大谷平和観音前を経て、バスで東武宇都宮駅に戻る。昨晩と同じ、駅近くの青源餃子本店で美味い餃子と味噌汁を賞味、土産に特撰麹味噌と特醸麹味噌を買求める。寛永二年(1625)創業の味噌屋なのだ。
なお料理人は新京(満州国首都、今の長春)出身だと言う。旧満州に駐屯していた宇都宮連隊との史実を感じる。
戦前、帝都で一番大きい鯉幟・吹流しと富士一登駿河屋の旗を掲揚する為に、二番目に高い(一番目は某皇族用)旗竿用の青梅丸太を祖父が五日市の山内大尽の山から搬出し、父が建てた旗竿の基礎に大量の大谷石が使用されたと云う。
戦後になり、大工技術の伝承を意図した父の遺志を引継いだ母が建てた自宅には、大谷石の防火壁が設けられた。
ぼくあずさが住む、金沢三山・日向山の中腹に広がる住宅地は大谷石積が敷地境界石として使用されている。昔は、とても馴染みのある大谷石であったが、今では見ることは稀である。
第十九番天開山大谷寺
http://www.bandou.gr.jp/19.htm
大谷石資料館
http://www.oya909.co.jp/museum/index.html
今、旅に出よう。 大谷・栃木へ
http://shibamugi.way-nifty.com/mugiblog/2008/09/post-8a27.html
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7月10日、ぼくあずさは地球人にカテゴリー 明治維新胎動の地、萩が新設されます。主筆のT.Horiさんは稲門機械科倶楽部のメンバーです。 皆様のご訪問をお待ちしております!!
ぼくあずさ
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万町一丁目バス停→ 関東バス15分→ 国学院栃木バス停(標高85㍍)→ あじさい坂下(130㍍)→ 随神門(225㍍)→ 太平山神社(260㍍)→ 国学院栃木バス停→ 東武栃木駅→ 東武宇都宮駅
出流観音からの市営バスの運転手の言われるままに、バス前を横切り手を挙げ、国学院栃木行きの関東バスを止める。
太平山麓から一直線に延びる急な坂道を歩く。いよいよ1000段と云われる石段、左右に切れ目なく植えられた紫陽花は見事。隋神門前後100㍍の石段は可也の急勾配。横広の境内、本殿を参拝。右手の休み処は眼下に広がる栃木の街の眺望がよい。
伯母の嫁ぎ先は寶示戸姓であるが、近在に従兄の製材工場があると聞く。なにやら太平山神社から賜ったのか、勝手に名乗ったのか分らない。いつの時代のものか知らぬが、天照皇大御神を始祖とする家系図があるというから、笑ってしまう。
太平山神社
第53代淳和天皇(在位823~33年)の詔により創建された。太陽のように命を育む天照皇大御神、月のように人々に安らぎを与える豊受姫大神、星のように人生の道案内をしてくださる瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、この日・月・星の御神徳を主祭神とする。天長四年(827)に慈覚大師円仁により開山。
隋神門は享保八年(1723)、徳川八代将軍吉宗により建立されたが、背面にある仁王像は江戸時代までの神仏混淆の名残である。
早朝出立であったが、計画どおり6時過ぎに東武宇都宮駅近くのホテルに投宿。さっそく名物の宇都宮餃子を求めて街に出る。
(11-3)に続く
太平山神社hp
http://www.ohirasanjinja.rpr.jp/
天台宗:慈覚大師円仁
http://dorfflueren.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-4c02.html
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6月25日、快晴、久しぶり1泊2日の坂東観音札所めぐり。
東武浅草駅→ 東武栃木駅→ 市営バス60分→ 出流観音バス停(標高210㍍)→ 山門(240㍍)→ 本堂(265㍍)→ 奥ノ院(355㍍)→ 本坊(255㍍)→ 出流観音バス停→ 万町一丁目バス停
6:31分、勝手知った浅草駅を出発、隅田川の鉄橋を渡ると芭蕉の気分。二つの坂東観音札所、太平山神社参拝と紫陽花見物。
近代的な駅舎、市営バスは倉が立並ぶ落ち着いた街中を北東に走る。石灰石採掘場を抜け終点に至る。
初夏の剣ケ峰(655.8㍍)を背にした山門は、さすが坂東観音札所らしい堂々とした造り。人気のない境内、奥ノ院への山道で数名の巡礼団に出会う。オオルリの囀りと御沢のせせらぎ、深山の趣。
大悲ノ滝の左脇から急な坂道を登り、傷みの酷い奥ノ院に至る。見返り美人ならぬ、十一面観世音菩薩像を拝む。
本坊2Fの108畳の広間で美味しい天麩羅ソバをいただく。暫しの転寝で朝4時起きの気だるさが解消。
出流(いずる)観音
新義真言宗智山派別格本山出流山万願寺、坂東第十七番観音札所。天平神護元年(765)に勝道上人(735~817年)が開創、本堂にある御本尊は弘法大師作と伝える千手観世音菩薩像。奥ノ院の十一面観世音菩薩像は鍾乳石。
元文五年(1740)十二月の大火により、享保二十年(1735)に建立された山門を残して堂塔総てを焼失。本堂は和治元年(1764)に再建された。
親切でお喋り好きなバス運転手、万町一丁目バス停で急停車。対向車線をやって来るバスに手を上げれば乗車できると教えられる。後で分ったのだが、国学院栃木行きの直通バスであった。
(11-2)に続く
第十七番札所出流山満願寺
http://www.bandou.gr.jp/17.htm
万願寺
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宗派内抗争に乗じた徳川家康の政策により、1602年に西本願寺(正式名称:浄土真宗本願寺派)から東本願寺(真宗大谷派)が分れた。
京都駅前にある大寺院が東本願寺であり、少し西方にあるのが西本願寺です。
宗祖親鸞の霊廟を、西本願寺では大谷本廟(西大谷廟)、東本願寺では大谷霊廟(東大谷廟)と呼びます。1603年に徳川家康の命で親鸞の遺骨が分骨された。
私が子供の頃から馴染んでいる臨在宗建長寺派大本山建長興国禅寺には宗祖の霊廟はありません。詳しい事は承知しておりませんが、聴くところによると、浄土真宗は他宗派とは葬儀や礼拝の作法が異なり、合理的な考えと思われます。(失礼な言い方であれば、お許し下さい)
私は高校2年の関西旅行で西本願寺を参詣したが、桃山時代に建てられた多数の建築物(国宝)に驚いたことを記憶している。世界文化遺産に認定されるも肯ける。
紛らわしいのは、西域探検で有名な大谷光瑞は本願寺派であり、大谷派ではないのです。昭和45年に結成された真宗10派による真宗教団連合のhpに準拠しました。但し、末寺数の派別の末寺数の信憑性は保証しません!
浄土真宗本願寺派 10,497
真宗大谷派 8,900
真宗高田派
真宗仏光寺派
真宗興正派
真宗木辺派
真宗出雲路派
真宗誠照寺派
真宗三門徒派
真宗山元派
真宗教団連合 近年、真宗大谷派より独立した宗派は含まれていません! http://www.shin.gr.jp/main.html
大谷家は浄土真宗の多数派である本願寺の門主を世襲した親鸞の娘覚信尼と下級公家日野広綱の間の息子覚恵の子孫の家号。
明治時代に、西本願寺の東本願寺の管長がともに大谷姓とした。処が1960年代になると東本願寺と大谷家との間の抗争が激化して、現在は4派に分裂している。いずれも大谷家が最高地位にある。
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6月19日の読売夕刊の切抜きを転載する。写真に上部に橋が架かった切通は初めて見た。現在は不動産会社が所有しているが、買収して文化遺跡として整備・公開して欲しいものだ。
鎌倉幕府初代執権北条時政(1238~1215年)の邸宅跡とされていた処が、鎌倉市教委の発掘調査の結果、最も古い遺構が13世紀後半であることが判明した。
その遺跡の所在が分らぬ釈迦堂の創建は仁元年(1224)と言われることから、釈迦堂跡でもない。では、いったい比企能員(よしかず、?~1203年10月8日)は、何処で北条政子と父時政に謀殺されたのだろうか? 妙本寺には比企一族の供養塔がある。
鎌倉三十三観音札所巡り(1-2):大町
http://dorfflueren.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-879f.html
鎌倉・衣張山ハイク
http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2008/01/post_6f0e.html
GW 鎌倉寺めぐり(1)
http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2008/05/gw_5ec1.html
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寛永16年(1639)、西本願寺境内に学寮を創設、大正11年(1922)に龍谷大学となる。
大谷光瑞(1876~1948年)、浄土真宗本願寺派22代法主は3度、西域探検を行い、夥しい数の発掘品を持帰った。西本願寺から国宝・重要文化財を多数譲られ所蔵している。
ぼくあずさが参詣した主な寺院(浄土真宗)
西本願寺(京都)
永勝寺(藤沢)
叡山で修行した宗祖:親鸞(浄土真宗)
http://dorfflueren.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-e532.html
高麗八萬大蔵経
http://dorfflueren.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-3f39.html
仏教系大学
http://dorfflueren.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-e105.html
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6月16日、ぼくあずさは地球人に カテゴリー安曇野だよりが新設されます。
安曇野だより、サンアントニオ短信、軽井沢だより、北陸短信と稲門機械科倶楽部の主筆は共に稲門です。みなさまのご愛読をお願い申し上げます!!!
ぼくあずさ
ぼくあずさは地球人
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5月24日、明光寺での墓参り、昼時になってしまい時間調整ついでに、武蔵五日市の宿の旧戸倉村の城山が近くに見える辺り、左に折
れて急坂を下り、秋川に架かる橋を渡り、右折して直ぐ、入口に多数の石仏が立つ左手の山腹の坂を登る。広い駐車場は、雨模様のためか、車は見当たらず。
新宿の叔父に連れら初めて五日市小和田にある廣徳
寺を訪ねたとき以来、40余年の月日が過ぎた。秋川流域は臨済宗建長寺派の寺院が極めて多いが、この寺は室町時代より地域の中心的な役目を負った。広い境内は禅寺らしい凛とした空気が流れる。
臨済宗建長寺派龍角山廣徳寺、建長寺の末寺、明徳年間(1390-94)に龍応智雲尼が開基、応永十年 (1403)に前建長寺住職が開山。御本尊は聖観世音菩薩像。その後、北条氏康(1515-1571年)が再興。北条早雲(1432-1519年)一族の位牌が伝わる。
文政二年(1819)に建てられた総門には前出雲国主松平
不昧公(1751-1818年)の筆になる穐留禅窟の扁額が掲げられている。その先、正眼閣と書かれた扁額を掲げた茅葺きの風格ある山門を抜け大銀杏の先に本堂が建つ。ミツウロコは北条の家紋。
生憎の雨に降られた年配のハイカーが境内中央の鐘楼で雨宿り。都指定天然記念物のタラヨウは本堂裏にあるが、カヤは見損なった。
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